理解してくれる人が周りに存在しないからといって、その感情が取るに足らないものだと思って存在を否定するのはすごく勿体無い。
2019/6/21 金曜日
9:00 起床
9:30 メニュー作りの仕事を手伝う
10:00 朝ご飯
ちゃんちゃん焼き!
これは北海道名物らしい。
北海道郷土料理のお店出したいなって思っちゃった。
11:00 脚本執筆
13:30 休憩
15:00 昼食
ミートソースだぜ。
あのー、レトルトソース使わずに
ケチャップで塩胡椒で作ったよ。
16:00 はなしっぱなしを読んでみる
17:30 執筆開始
目標は達成した。
19:00 夕食
古町の頂というお店に行ってみた。
ローストビーフ丼がオススメのお店。
私が食べたのはマルゲリータハーフサイズ。
最近こんくらいでいいのよ。食細くなった。
21:00〜23:00
鶴の友で晩餐した。
つまみはキューピットで購入した刺身でっせ。
晩餐相手が一瞬スマホを見て笑ったのが嬉しかった。人が他人の力になれる時ってのは、お互いの状況や性格とかで変わる。多大な時間を共有していても、根本的にお互い救われない時もある。「浮気」って言葉がこの世にはあるが、一体これってなんなん?って思う。自分が受け止めきれなかった相手が抱くストレスや感情を他の異性が受け止めたっていいのでは?とジャブを入れられた日だった。それは、誰でもない内側の自分が私にそう問いかけてた。そして、それはまた私も然りなのだ。
この溢れ出す感情を、私よりも先に言葉にしている存在がいたとして、その感情共有できたとして、その時私はすごく嬉しいはず。
理解してくれる人が周りに存在しないからといって、その感情が取るに足らないものだと思って存在を否定するのはすごく勿体無い。
私はよく泣く。泣くのは弱いからだと思ってた。でもそれはあくまで一面的な解釈だよ。
自分自身を愛して生きていくには、もっと多くの人と会ってみるのがいいんだね。
違いも全部愛したい。私の輪郭を作ってくれるはずだから。
もっと自分に厳しくなれそう。
それを受け入れる自分を作って行きたい。
怖がったとして、飛び込める自分を。