久々にシネ・ウインドへ寄ってみた

2019/8/27

 

「愛がなんだ」を観た。

なぜあんなに売れたのか?話題になったのか?理由について言及の余地ありという感じだ。

可能性を3つあげてみる。

①主人公のように自尊心の低い人が多く、物語に共感してしまうから

成田凌が出てるから

③センシティブでうまくいかない恋愛映画が現在の日本には少なく、本作は新鮮であったから

あげてみて思うのはどれも正解な気がするってことだけや。

 

終始居た堪れない。

救いはない。観ている人への疑問系で終止符が打たれる。ここまで、主人公の悲劇に耐えたのだから、ラストは思いっきり報われるか思いっきり報われないかどちらかにしてほしかった。

主人公の友達が、主人公の写真を見て微笑むシーンで思わず泣いてしまった。高校の友人に会いたくなった。時間を作って会いに行こう。

 

その後、ある監督に出会った。

彼は左派的なテーマでフィクションを撮る監督だった。

彼と飲みに行った。

彼と話していて1つ思ったことがある。

左派は、批判する態度を守りたいだけなのではないだろうか?ということ。

彼の話していることを聞いて逐一質問をした。

彼は批判的な意見を述べる。その訳を聞いても、そういうものなんだという声が返ってくるか、誰かがこう言っていたと話をすり替えてしまう。

その監督の身から出たような言葉は聞けなかった。

どの話も批判的な態度はとるが、その理由として自身の感性の部分は話してくれないのだ。

そうやってなにかを批判することだけ上手くなった人が日本の左派を台頭しているのかもしれないと思った。

 

彼曰くジャーナリズムに必要なことは、

「反体制側にいること」だそうだ。

まさに今日一緒に飲んだ限りで感じた彼の態度そのものだ。

それは暴論じゃないか?と思う。権力者は時の人だ。権力を握る者が変われば、今度はその者をターゲットに反論するのか?ジャーナリスト本人の思想はどこへ?

 

明日気が向いたら彼の作品を観に行ってみようかと思う。今日はどれもこれも言葉によって彼の考えを捉えきれずに終わった。きっと彼の感情は作品に反映されているのだろうし(そう思いたい)、作品を通して感じられたらと思う。