撮影が終わった -これからに向けて
2019/10/30 水曜日-11/8金曜日
10日に渡る撮影が終わり、振り返る。
もっと何が出来ただろうか??
いっぱいある。
次に向けてどうしたらいいのか??
1人反省会が始まる。
◯チームづくりについて
一体どういうことだろう??
カットがかかった時の声が足りない。
互いに一体感を感じて行くことが大事だろう。
監督は常に盛り上がることか出来ても、
スタッフや俳優のモチベーションを上げ続けることは大変だ。
撮休は適度に入れておかなくてはならない。
また、現場では美味い飯を食べて貰うのもモチベーションに繋がるだろう。
◯制作面について
ご飯の用意。
スタッフの確保。
運転手は必須。
緊急連絡先表を作っておくべき。
参加するスタッフや俳優には保険に加入してもらおう。
危機管理と栄養管理してくれる人を用意しておこう。
レンタカーを借りたのは◎。保険に入っておくと安心。
◯スケジュールについて
1つのシーンに対して、特に外のシーンの場合、候補をいくつかあげておくことが大切だろう。
雨の場合のスケジュールも作っておくこと。
休みは中日に1日程設けること。
スケジュールには朝ご飯の時間を入れておくこと。なるべく3食を定時に食べられるスケジュールづくりを目指す。
◯自分自身について
とにかく焦りは禁物。
焦っても何も生み出せない。
後悔はやめて、次へ。
諦めて受け入れて、次へ。
これからやるべき事を見据えて動き続ける。
◯演出の準備について
そのシーンで必ず欲しいカットを決めておこう。なんとなくで撮り始めてはダメ。
絵コンテは「欲しいカットを知るため」と「シーン同士の繋がりを知るため」に書いておいた方がいい。
◯これからやっていくこと
まず第一にチームづくりである。
吉田組として、BANKARA ROCK FILMSとして一緒に活動してくれる仲間を探して作っていく。そして互いに育っていくことを考えよう。
今回音楽に関して、Sister Jugendさんに声をかけ一緒に作っていこうとなったのは、自分が行動したことによる結果であり成果だ。仲間づくりとはこの積み重ねなのだろう。仲間が増えると世界はどんどん拓けていく。それはとても楽しいことだ。
巨漢の男を殴り続ける毎日だ
くそくそくそ!悔しくてしょうがない。
常に陣痛。
産む苦しみに喘いでいる毎日。
でもやっぱり苦しみなんて外面の話で、
心の奥底ではニヤニヤと笑ってる。
今か今かと待ち遠しいのだ。
最近よく見る夢の中で、
私は巨漢の男性を何度も瓶で殴りつけている。
でも巨漢の男性は、ビクともしないばかりか私を見て薄ら笑っている。
その男を見てると段々私も笑ってしまうのだ。
そのあと、私は彼を殴り続けたのか?それとも殴る手を止めたのか?覚えていないのだが。
そうこうしているうちに朝になり目が覚める。
私が彼を見て笑った時、
必ず私は「こいつは死なないのだな」と悟る。
そして足掻き殴り続ける自分が可笑しくてしょうがなくなる。
来るべき時は来る。
出会わないものは、どうしたって出会えない。
ただ、それと出会った時に、掴み損ねないことだけを信じていたい。
大きく膨れ上がった私の感情は、なんと柔らかなものか。瓶のように強固な不満・怒りにも傷つけられないのだから。
相棒について語る事。
2019/9/4 水曜日
もう1つ、いつもカメラマンをやってくれる相棒の監督作に携わっておりまして。
彼の情熱が進むべき道を切り開いて、
突き進んでほしいと祈っています。
日常会話が格言残す勢いで話す人なんです。
彼の求めてる物が何なのか分かりそうで分からなくて、シンプルなように見えてごちゃごちゃしてるから、掴みきれてはいないのだけど。
それでも彼は夜道を転がりながらのたうち回りながら来たるべき日を待っている。
苦しかろうが、死なずに生きて欲しい。
日に日に、あらゆることが枝葉に思えて、
きっと幹が何なのか見えてくるはず。
必ずその日はやってくる。必ず。
つまりド変態野郎。
2019/9/1 日曜日
とても色んなことが重なり、
今はモチベーションとの戦いだ。
自身が監督で映画を作るとき、
役者について私が思っていること。
出演してほしいと選んだ役者に対して、
私は完全に惚れている。
性別は関係ない。
惚れているし、どこが好きなのかも言える。
そういう人を選んでいる。
愛している。
愛がなけりゃ映画なんか産めない。
そして、私は失恋した。
心が苦しい感じだ。
でも、私は何としてもこの映画を産み落としたい。だから、私はまた誰かを愛したいのだ。骨の髄までしゃぶらせてほしい。
これはもちろん役者にだけ言えることじゃなくて、音楽もカメラも音声もロケーションも衣装も美術も全てに言えることだ。
あぁ、ダイブしたい。
その為の地盤を着々と進めています。
久々にシネ・ウインドへ寄ってみた
2019/8/27
「愛がなんだ」を観た。
なぜあんなに売れたのか?話題になったのか?理由について言及の余地ありという感じだ。
可能性を3つあげてみる。
①主人公のように自尊心の低い人が多く、物語に共感してしまうから
②成田凌が出てるから
③センシティブでうまくいかない恋愛映画が現在の日本には少なく、本作は新鮮であったから
あげてみて思うのはどれも正解な気がするってことだけや。
終始居た堪れない。
救いはない。観ている人への疑問系で終止符が打たれる。ここまで、主人公の悲劇に耐えたのだから、ラストは思いっきり報われるか思いっきり報われないかどちらかにしてほしかった。
主人公の友達が、主人公の写真を見て微笑むシーンで思わず泣いてしまった。高校の友人に会いたくなった。時間を作って会いに行こう。
その後、ある監督に出会った。
彼は左派的なテーマでフィクションを撮る監督だった。
彼と飲みに行った。
彼と話していて1つ思ったことがある。
左派は、批判する態度を守りたいだけなのではないだろうか?ということ。
彼の話していることを聞いて逐一質問をした。
彼は批判的な意見を述べる。その訳を聞いても、そういうものなんだという声が返ってくるか、誰かがこう言っていたと話をすり替えてしまう。
その監督の身から出たような言葉は聞けなかった。
どの話も批判的な態度はとるが、その理由として自身の感性の部分は話してくれないのだ。
そうやってなにかを批判することだけ上手くなった人が日本の左派を台頭しているのかもしれないと思った。
彼曰くジャーナリズムに必要なことは、
「反体制側にいること」だそうだ。
まさに今日一緒に飲んだ限りで感じた彼の態度そのものだ。
それは暴論じゃないか?と思う。権力者は時の人だ。権力を握る者が変われば、今度はその者をターゲットに反論するのか?ジャーナリスト本人の思想はどこへ?
明日気が向いたら彼の作品を観に行ってみようかと思う。今日はどれもこれも言葉によって彼の考えを捉えきれずに終わった。きっと彼の感情は作品に反映されているのだろうし(そう思いたい)、作品を通して感じられたらと思う。
自分の外にあるものの方がよっぽど面白かった
2019/8/18 日曜日
とうとう帰国。あっという間だった。
フィリピンでの日々はとても楽しく、この機会を与えて下さった方々に感謝する。
そして現実の方がよっぽど面白いという事を教えてもらった。取材するという事は、凝り固まった一人の頭の世界を外へと広げてくれるものなんだな。思いつくはずもない出来事は、この世の中にいっぱいあるのだ。
今日友人の映画に出演する俳優さんに会い、すごくワクワクした。それこそ頭の中にあった物語を実現するのは、人同士によるものなんだと、彼の存在は私に教えてくれた。私一人が思い付かなくたってそんなの当たり前なのだ。もう次の段階を歩んでいることに気付こう。これから一緒に作っていく人との中で生まれていくものを大切にしたい。