写真展覧会「性」in砂丘館 の感想①

2019/6/15 土曜日

 

海獣の子供を、知亜希さんと観に行った。

途中から千葉も参戦し、砂丘館で行われている写真の展覧会「性」を観に行った。

1階と2階に作品が展示されており、階でカメラマンが別である。

1階の展示作品については感想がまとまっていないので、今回は2階の展示作品について話す。

 

とても面白かった。

刺激を受けた。

写真は全てモノクロだ。

感想を5つの章に分けてお話しする。

 

①ふわふわの上着から覗くハム

1枚目の写真には、

ふわふわの上着を着ている男性が写っている。

上着の下は裸であった。

上着の質感から羊を妄想した。

上着から覗く肌は、毛を刈られた羊のピンク色の肌のように感じた。

そして、男性の肌は、ピンク色のハムを連想させた。とても生々しい。

焼く前は柔らかく、焼くと固くなる、あのうっすらシワのあるハムだ。

私たちは服を着て過ごしているが、その下には確かにハムと同じ薄ピンクの肉体がある。

これから、人間の肉体と対峙しろというメッセージだと思った。

 

②私の頭の中にある女性の裸体の偶像

複数の女性の裸体の写真は、

おっぱいの離れ具合も、

乳首の形も、

身体の輪郭も、

肉付きも、

全然違うことを教えてくれた。

とても、「いびつ」だと思った。

では、何と違い、何と比較していびつなのか?

それは、自分の頭の中に確立されていた女性の裸体の偶像である。

それは私とは似ていない。

母親とも似ていない。

私の中で裸とは、エロス・興奮と直結するものであった。なので、自分を興奮させてくれる美しい裸体のイメージが頭の中にあったのだ。

そして、それは等しく他者の女性の裸体もそうであると思い込んでいた。

彼女たちの裸体と出会ったお陰で、

私の頭の中にある、女性の裸体の偶像の存在を教えてくれた。

「いびつ」というのは、全く卑下した表現ではない。

むしろ、唯一無二ともいえる、それぞれの身体は、それ故に、とても愛らしいのだ。

自分の中に、「裸体=エロ」という偏見を発見した。

 

③彼がペニスに見える訳

複数の女性の裸体の写真が続いた後、

1枚目の写真と同じ男性の横顔の写真があった。

これを見て私は直ぐに、ペニスを連想した。

この彼の顔の向きが、裸体の女性たちに向けられているように感じたからか?

それとも1枚目で、彼の服の下が裸体であることを知っていて、彼女たちのとのセックスを連想したからか?

どちらにせよ、この空間において、彼の存在は、裸体の女性に欲情した男性のペニスそのものだと感じた。

彼にペニスがあることは明示されてない。

彼の欲情する対象が女性であることも明示されてない。

だが、私の中では、確実に、

男性は女性の裸体に欲情するものだと思っており、男性は欲情するとペニスが勃つとのだと思っている。女性の裸体→男性は欲情→ペニスなのだ。ここでは、「欲情のペニス」だ。

だが、彼は実は、同性愛者で、女性になりたいと思っていた場合、女性の裸体への眼差しは羨望だろう。そして、ペニスの存在は彼には葛藤を生んでいるのかもしれない。するとこの時は「葛藤のペニス」になる。

私は彼を男性と認識し、「欲情のペニス」を想起した。なるほど、これが偏見か。

また、一つ自分の中での偏見に出会った。

 

④自分が想う女性らしさ

レースの下着にシルクのカーディガンを着て、

毛先の揃ったふんわりとしたボブで顔を隠し

ベットの上に座りこむ。

彼女の背景の壁紙は、まるで子宮に咲く花のようなアンティーク調で洒落た模様が連なるデザインだった。

私は彼女から、彼女が想う女性らしさを感じた。そして、彼女はそれを自分で表現していた。まさに、写真に写る彼女は、彼女のイメージする女らしさを身にまとっている。

若しくは、彼女からそれを汲み取ったカメラマンが彼女にそうさせたのか?

彼女は着飾っていた。

髪型、服装、これは自分が理想とするイメージに近づかせてくれる術だ。

そうやって振る舞う彼女は、愚かしく、だかその愚かしさが愛らしい。これは裸体に対して感じたものとは、全く別の愛らしさだ。

私は彼女の裸体が見てみたい。

 

⑤その一瞬に生まれた「しわ」。

最後の写真。

裸で足を立てて座る女性の上半身。

立ち上がろうと動き出した瞬間が写っている。

彼女の体は全体的にぶれてはいるが、

動き出す前の静止した状態はしっかりと写っている。

静止した彼女の裸体のしわ、くぼみ、影、丸みは次の瞬間消えるだろう。

一瞬一瞬存在を許される「しわ」たちは、動きと連動して、形・場所を変えていく。

私は、目の前の若々しい彼女の裸体に生まれたその一瞬の「しわ」をなぞってやりたくなった。

この感情に名前があるとしたら、「刹那」か?

時間が経ち、彼女に刻まれることが確定した「しわ」があの時撫でた「しわ」であった時、「ああ、あれはあの時の…」と懐かしみながら再会したい。

私たちはこの肉の塊を自由に動かせる。

そして年老いて行く。

体に生まれたしわを愛せた時、自分をもっと他者をもっと愛せる気がした。