取材① 函館市民への違和感

2019/6/4

 

この日はシネ・ウインドにて、母校の同窓会誌の取材を受けた。

 

夢を持ち活動している卒業生についての記事を掲載したいとのことで、映画制作をしている私が選ばれた。

 

インタビュアーの方は、私の母校の先輩で、東京でベンチャー企業をいくつも興してきた方で、やる気のある若者を応援するのが好きなのだと話してくれた。

 

この取材のお陰で、高校時代(函館在住時代)からこれまでをざっと振り返ることが出来た。

 

話していて、特に面白かったのが、「函館市民への違和感」についてと「私が新潟で活動する訳」についてだ。

 

今回は函館市民への違和感について話す。

 

函館市民への違和感は私だけが持っているものだと思っていたのだが、インタビュアーの方にこの件について、とても共感してもらえた。

私は高校3年間を函館で過ごした。

今になって思う事は、函館で何かを目指したり目標や夢を持って生活することが出来るのだろうか?という疑問だ。

刺激を求めずアウトプットもしない。そのような環境がないうえに求めようともしないという空気感を当時から函館に感じていた。

ただ、時代遅れでやってきた大企業が提供するものを目新しいといって消費していくだけだ。最近、昔潰れたデパートが無印良品のビルに変わった。

個人がこだわりのある服やモノを売るお店にいくつも出会ったことがない。

この街に住む人は、どこで刺激を手にしているのだろうか?若しくは必要がないのだろうか?じゃあ気持ちは窮屈では無いのだろうか?どこで気持ちを発散しているのだろうか?感情を何にぶつけるのか?何にのめり込むのか?なぜ函館で生活しているのか?

 

函館市民は感情の節約上手なのだろうか?

今の私はそんな疑問を抱く。

 

きっと、この疑問や違和感は、函館に帰ったところで、働かず映画を制作する自分を受け入れてくれる環境はあそこにはないのだろうという思いから生まれ出たものかもしれない。当時の私はそこまで考えていなかったかもしれない。

 

私は市民レベルでそのような疑問を感じ、インタビュアーの方は函館の政治レベルでそう感じているそうだ。観光一つとっても、どこの国から人が訪れているのかなど調査をしない。

 

よくいえばマイペース。

そんなマイペースで歩んでるうちに、

気づいたら死んで、

気づいたらこの街は無くなっているのだろう。

 

この話題は、掘り下げる余地あり。

今回はここまでにしよう。