もっとシンプルに。

2019/5/31

 

この日の夜、同居人と一緒に現在放送中の深夜アニメ「さらざんまい」を観た。

お互いの考察を話し合ったが、結局は腑に落ちない点の方がはるかに多く、まずは最終回まで観てみようという結論になった。

 

この作品は、記号的な描写で説明もなく進んでいく(説明はあるっちゃあるのだが直接的ではない)ため、大変分かりにくい。話が進むほどに謎も深まる。しかし、ノリの良さがキレッキレなので、毎回最後まで楽しんで観られる。考察好きにはたまらない作品なんだと思う。

 

アニメを見終わった後、同居人から私が現在制作している短編映画について、いくつか質問を受けた。同居人からの質問は、私の頭の中を整理させてくれるもので、本作のポイントをよりシンプルに理解することが出来た。

 

アニメの話でも出た言葉だが、「腑に落ちない」という感覚は大変重要なものだ。私は、この「腑に落ちない」という感覚を、現在制作中の本作にも抱いているのだ。以下の点においてそれを感じている。

◯物語の中で起きる事件が主人公にとってどんな意味を持つのか?

◯この事件によって主人公が変わるのだとして、その決定的な原因はなんだ?

◯この事件と主人公の変化に整合性はあるのか?

これらの点がひっかかり、主人公の複数の感情が一本の束にできないもどかしさを常に感じている。考えても考えても自分の中に「何故?」が残るのだ。

 

同居人は、この「腑に落ちていない」と感じているポイントを突っ込んでくれた。

次第に、テーマはシンプルな言葉に置き換えられていき、一番に描きたいこともシンプルに分かっていった。一番描きたかったもの・表現したかったものは、「自意識が他人にさらされたことで潰されてしまった時の感情」であった。そして、そのテーマに対して映像のイメージによるアイディアが合っていなかったのだ。映像のイメージが先行してしまっていたために、その映像のイメージ自体を疑うことをしていなかった。

 

つまり、頭の中にあるイメージを具現化することよりも、感情を表現することが本作の1番の目的であったのだ。

 

さらに話し合いを進めた結果、

伝えたい人・観て欲しい人を考えたうえで、テーマをその人により伝えられる方法を模索すべきだということが分かった。そして、その人にテーマが伝わることが本作のゴールなのだ。

 

私にとって、

形に出来なかった作品のアイディアたちは、

手のひらサイズの土人形だった。

 

本作はそんな作品だ。

そして、伝えたい人はすぐ側にいる。