何が一緒で何が違うのか?

2019/7/5 金曜日

 

誰のどんなところに共感して、

その人とどう違うのか?

それを言葉に出来たら自分の進みたい道も自ずと見えてくる。

と仮定して考えてみた。

 

共感するクリエイター

五十嵐大介

②ミシェルゴンドリー

③チャーリーカウフマン

今敏 千年女優

 

共感するポイントと違い

五十嵐大介

◯呪術的に女性の存在を捉えているところ。

◯大地、生物、宇宙の大局観。

◯自然への感覚を研ぎ澄ます描写。

上記の3点は感覚的に共感するし、ロマンを感じずにはいられない。物語の世界観を構築する要素にになるだろう。雨の中を魚たちの幽霊が泳ぎ人間の肌と触れ合うシーンは最高だ。これは日常を楽しむアイディアをくれる。

だが私は、彼の様に、魚と人間の受精シーンをリアルな魚を出しては描かないだろう。私はきっとその魚をおもちゃの様に見せたいはずだ。

②ミシェルゴンドリー

◯彼は幻想的なシーンであればあるほど、子供が作るおもちゃの様なセットを作り出す。

私はこの点にすごく共感する。私はきっと魚と人間の受精シーンを描くとき、鱗に見立てた和紙を魚型に切り取ったダンボールに貼り付けて、水色のセロファンの中を漂わせるだろう。そうしてデフォルト化することは、より視覚的に分かりやすく感覚を刺激するだろう。さらに、舞台は洗濯機の中だったりするから面白い。

身近なものを舞台にして、身近なものでセットを作り出す。こうして作られた映像もまた、観たものに日常を楽しむアイディアをくれる。目の前に置いてある白濁の化粧水を見つめ続ければ、ある日牛の乳の中に入れるかもしれない。

そして私は、こういった映像表現と共に、可笑しな、しかし、痛切な個人の悲鳴を物語の主題にしたい。ミシェルゴンドリーの描く脚本ではこの叫びの部分が曖昧に感じるのだ。映像はすごく面白いのに。

③チャーリーカウフマン

◯彼の作品は、まさに、可笑しな、しかし、痛切な個人の悲鳴を描く。

マルコヴィッチの穴の主人公なんてのがまさにそうだ。不可思議な事件がベースなのにとても人間味が描かれている。彼女に愛されるためなら何でもする!という想いとその不可思議な事件との相乗効果で人間味あふれるラストを迎える。この「不可思議な事件」に心惹かれる私は、自分の作品にも取り入れたくてしょうがない。だって人は、「もしも〇〇だったら」と常に考えている生き物だと思うからだ。観客のそういった欲望を汲み取った上で展開していく物語は引き込まれないわけがない。欲望を叶えてくれる「不可思議な事件」は、登場人物の叫びつまり人間味を暴き出していく。そこがたまらない。そのような吸引力のある物語を私も作りたいのだ!ただ、この人間味という一見愚かにしか見えない部分と同じくらいその尊さも描きたい。それはチャーリーカウフマンだけじゃ足りない。

今敏 千年女優

◯一人の女性の人生を大河ドラマのようなスケールで描く。

◯ラストのセリフにその女性の生き様が詰まっている。

最近、山暮らしでお世話になったお家の奥様と2人で話す機会があった。頑固で癖の強い旦那さんとはとても喧嘩が絶えないとよく話していたので、何故50年間も旦那さんを支えてこれたのか?と私が質問をした。するとその奥様は、「50年前に私はこの人と一生を共にすると決めたのだ」と答えた。

決して理解は及ばない、でも確かに私の身体に電撃が走り、呆然と頷いた。

この奥様は、天皇の妻でもないし、マリア様でもない。ただ50年間ある男性と一緒にいると決めてそうし続けた一人の女性だ。決して特別な立場ではないんだけど、確かに重厚な生き様があると思った。

一人の人間の一生を、生き様を、描いてみたい。少女からおばあちゃんになるまでを。その最期の一言を私は見てみたい。

 

明日からは、五十嵐大介をよんで感じたことを詩なり文章なりにする事をしていこうと思う。