呼吸と瞑想

2019/6/23 日曜日

 

この日、2時間で脚本が3ページ進んだ。

2時間で1ページしか書けなかった最初と比べたらだいぶ進歩した。

とても嬉しいし、今日は手応えのあるシーンがかけた。「そうそう、これだよ!」という感触だ。救いの手を誰かに求め、それをまんまと裏切られてしまったあの感覚。それを描きたかったのだ。

 

タイトルにもあるように、呼吸と瞑想について思うことを記す。

呼吸と瞑想はすごく近いと思った。

私の仮説だが、深い瞑想とは深い1つの呼吸のようなものではないかと思う。

 

呼吸について

最近筋トレを始めた。

筋トレをすると呼吸と筋肉を意識する。

吸う時と吐く時で意識する筋肉の位置が変わる。呼吸は身体の内部に存在する筋肉に意識を向けることが出来る。

 

瞑想について

今日購入したデイヴィッド・リンチの「大きな魚をつかまえよう」について書かれていたことを元に話したい。リンチは言う。魚はアイディアであり、魚は自分の意識に中に潜むものだと。瞑想し、意識にグンと潜っていくことで、魚=創作のアイディアを掴み取れるのだと。大きい魚を掴みとりたい時はより深く潜る必要があると。

自分の意識の内部へと潜りアイディアを掴みとる行為が瞑想なのだとしたら、それは、呼吸を通して自分の身体の内部にある筋肉を意識する行為と似ている。ような気がする。

 

徐々にこの仮説を掘り下げてみよう。

これは無知な私の直感だ。