「ウインドアイ」という怪奇アメリカ小説

2019/6/11 火曜日

 

今日は「ウインドアイ」という小説の朗読をした。

本作は怪奇アメリカ文学である。

次のような話だ。(ネタバレ)

 

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老人は、自分の少年時代に起きたことを語り始める。

ある日、少年が外から自分の家を見ると窓が一つ多いことに気づく。でもその窓がある部屋は家の内側には存在しない。この窓というのは、風が家を覗くためのもの、つまり風の目「ウインドアイ」であるという。その窓に触れた少年の妹は姿を消し、妹の存在を知る者は彼以外にいなくなる。妹の存在など無かったことになってしまった。という話だ。

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この作品を朗読して気づいたのだが、一人称が3つ存在する。神目線から客観的に語るナレーション・主人公の老人・少年(妹の兄)の3つだ。

この3つの一人称が巧みに入り混じることで、事実だと確定していないものが事実のように語られている。なので全編通してこの出来事が事実だと思い込むよう仕組まれている。ふと気づくと視点(一人称)は老人と少年を往復する。あくまで老人が語る妹、少年が語る妹しか存在しない。神目線のナレーションは妹を語らない。つまり、妹はやはり存在していないのだ。この物語のミソは、語り手である主人公の話は信用ならないということだ。つまり、物語の本編そのものが信用ならないということだ。主人公に向けられるはずの疑惑こそが物語の怪奇さを生んでいる。だが、読んでいるものからしたら主人公が嘘をついているようには思えないのだ。

 

このような語り手が観るものをだますお話は映画でも存在する。

ユージュアルサスペクツ

メメント

タランティーノの映画でもあった気がする

 

こういう話をいつか作ってみたい。

そう思った。