ルノワールは、ありきたりな表現が嫌いだった。

2019/5/26

 

私は現在、次回作の短編映画「MY BABY (仮)」の脚本を制作中。

 

今日は、主演の知亜希さんとプロデューサーの千葉と、3人で本作の話し合いをしました。

 

本作は、私がみた夢から生まれた物語です。

だいぶ脚色されてますが。

 

知亜希さんは、初めて会ったとき、私以上に本作の世界・主人公を知ってる方だと直感しました。彼女の意見・アイディアは、主人公に奥行きを与えてくれます。毎回、私は彼女に「そうなの!それそれ!確かに!」と言っています。私が言葉に出来ていなかった若しくは気付いてすらいなかった主人公の側面や過去の記憶を教えてくれます。一緒に脚本から作れて楽しいです。

 

千葉の意見は、さっぱりとしています。知亜希さんが詳細を埋めるプロなら、彼は大雑把にしかし的確に「つまりそれってこういうことでしょ?」と客観的な見方を提示してくれるプロです。そして、彼の意見は、この脚本においてそれが持つ意味や担っている役割というものを考えさせてくれます。脚本をより構造的な視点から見直すきっかけを与えてくれます。

 

2人の意見は、常に私を物語の「細部」と「構造」の反復に誘います。大いなる刺激です。

 

そういえば、最近になってやっと、まともな脚本制作にまつわる本を買い、熟読しています。シド・フィールドの著作です。

面白い脚本を作るために必要な考え方がぎっしり言語化され、筆者が断言してくれてるので、とても励みになります。映画が、別の形で、より自分に身近なものになりました。

筆者は言います。

「自分の心の中にあるものしか描かない芸術家は、途中から、同じことを繰り返すだけだ。1つとして同じ葉っぱも、花も、人間も存在しない。それぞれが個性を持って描かれるべきだ。」

これを読んで、自分を思い返すと、作品について考えている時ほど、早く完成させたいと焦っているのか、理由も掘り下げず「これはこういう意味で、こうあるべきだ!」と決め込む癖があるなと思いました。「果て?何故?」と自分に問いかけたい。そしてそれは悪魔で一つの要素でしかないのだと冷静になりたい。今度からそうしよう。それで思いつかなかったら知ってそうな人に聞いてみよう。自分の外をもっと意識したいものです。

 

 

脚本の話し合いの後、私が本作をイメージして書いた詩を、ピアノの曲をBGMに、知亜希さんに朗読してもらいました。

 

読まれた瞬間から空気がグッと引き締まり、読み終えた後本編が始まるような気がして、ゾクゾクしました。

 

知亜希さんの口調がとても柔らかくて包み込むような感じがして、そして詩自体に言葉にパワーを感じて、BGMのピアノはイメージにフレアをたいてくれて、今まで頭になかった主人公の原風景が思い浮かんで、「ああ、なるほど。この作品って、子供の頃に太陽や自分の影を追っかけたりして、でも全然たどり着けなかったあの感覚に近いんだな」って気づけました。

 

今、言葉でばかり作品を捉えようとしていたけど、自分でも声に出して読んでみたり動いてみたりして、もっと作品への感覚値を上げてくことも重要なんだな。それに、それはすごく楽しそう。

 

明日は、そもそもこの作品の主題ってなんだろうってとこを自分の中でグングン掘り下げていきたい。それから、今蓄積しているアイディアを選定していこう。