「めぐりあう時間たち」を観た

2019/7/20 土曜日

 

脚本を書き終えた。

明日見直して、そしたら送ろう。

 

AbemaTVで1本作ることになり、

その企画の目処が立ったことも嬉しい。

 

「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」

を観た。9.11の話だ。お父さんらしき男性がワールドトレードセンターから飛び降りた可能性があることを知った少年が、父の死と向き合う姿を描いた。

ラスト、彼のノートの1ページには、ビルへ高くジャンプする父の姿が描かれている。

真実かどうか分からない事を考え悔やむのではなく、信じているものへ事実を書き換える姿が愛おしく、そして逞しい。

 

「めぐり逢う時間たち」を観た。

巧みなストーリーラインで別の時代を生きる3人の女性を描く。1920年、1960年、2001年。

家族・社会が、その時代の女性にどんな影響と葛藤を及ぼしているのか?

1960年に生きる女性とその夫との関係が悲劇的だ。記念日のディナーで、夫がその女性に対し妻として素晴らしいと褒め称える。あなたを想っていたから戦争を切り抜けられたと。女性は自身がレズビアンであることに気づきこの生活から離れると決心した直後でのことだった。

当時の社会のステレオタイプは、家の外で生きる時間が圧倒的に多いのが男性・政治に携わるのも男性なわけだったから、彼らによるものだったかもしれないと思うと。社会的に孤独を感じる女性は多かっただろう。

静かに悲劇は起きる。

言葉には出来ない。

余計傷つけることになるから。

何も言わずに彼女は家を出ていくのだった。

そうして、社会から「大きな謎」として語られる女性が生まれる。

1920年に生きる女性は、すべてを受け入れ社会で逞しく生きる2000年の女性を想像し、自殺していく。

社会の押し付け、ステレオタイプ

人は弱いから死ぬのか?

彼女たちの未来を生きる私が納得の人生を送ることが、この作品へのアンサーではないか?